藤山一郎
◇ 本名:増永丈夫◇ 生年月日:明治44年4月8日◇ 出身地:東京・日本橋東京音楽学校声楽本科在学中に関東大震災や金融恐慌が発生。その煽りで困窮した家業を助けるため、コロムビアから藤山一郎の名でデビュー。「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などのヒットを放つが、学校の規律に反するため活動を一時停止。卒業後、ビクター・テイチクを経て、再びコロムビア専属となる。終戦後も「青い山脈」「丘は花ざかり」などの大ヒット曲を放つ傍ら、作曲家・指揮者・コーラスの指導者などとしても活躍。長きに渡り、歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与え、美しい日本語の普及に貢献した功績が認められ、平成4年5月に国民栄誉賞を受賞した。翌平成5年8月21日、82歳で死去。